人はモノに救われている。

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「簡素」な空間から

今の自分の状態を教えてもらえる。

なぜ「簡素」な空間に暮らしているの? - 暮らしのバランス、わたしの軸/矢野あずみ

 

けれど、

何でもかんでも「簡素」がいいわけではない。

.

 

わたしが21歳のとき母が突然亡くなり

東京の出先からそのまま実家へ駆けつけた。

 

もろもろの式が済んだ直後か

すぐ仕事で東京に戻ってしまうわたしに

父は母の遺品から必要なものを選ぶよう言った。

 

(それ以外は捨てる、という意味だったのだろう。

どこまでも合理的でクールな男だと思いつつ…

半分、こういう時はそういうものなのだろうと

初めての経験をわたしも合理的に処理しようとした。)

 

母がこの世を去った実感もないまま

わたしは、母の香りがしてきそうな服や

シミがついてどうしようもないものと

黒いゴミ袋の間を右往左往していた。

 

なぜか父方の祖母もその場にいて

「母と静かに向き合う」

そんなことは全くできる空気でなかった。

 

頭はすこし膨張している感じで

拾う音が鈍く響いていた。

心がえぐられるように痛かった。

 

選ぶ、判断する。

感情とは無関係のところで淡々と進ませる。

 

新品のセオリーの財布。

全く興味のないものを

使えそうだから、ともらった記憶がある。

 

それとは逆に

わたしの幼少期によく着ていた服を

汚れているから、と

平気で捨てた。

捨てた。捨てた。捨てた。

.

 

心の準備が伴っていない整理は

長くは続かない。

 

父も同じく。

 

そんな簡単なものではない。

あれから長いこと、遺品は保留された。

 

一人暮らしの父はある意味

それらのモノに救われて過ごしていた。

 

「スッカラカンにされたら

普通の人は死んでしまうよ。」

 

そしてここ数年。

ゆっくりと心のペースとともに

実家は日に日に「簡素」に近づいている。

 

わたしからは何も言っていない。

頼まれたときに手伝うだけで

これは父の歩みであり、望みだ。

 

とても愛おしい変化を

実家に訪れるたびに空間から感じられる。

 

切ないけれど、あたたかい。

 

一人の男の人生を

これだけの熱量で見せてもらえるわたしも

とても有難い人生を歩んでいると思うのだ。

 

暮らし空間創造 AtoZ
矢野あずみ

 

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