自分の感性に出逢えるって、すっごくうれしいことだよね!

「あ、から始まる言葉を考えよう」
という国語の授業での問いに
息子は「あひる4ひき」と書いた。

「あひる」と書いたあとで
「4ひき」を付け足した。

「なぜ4匹にしたの?」と先生が訊ねるも
息子は首をかしげ固まった。


そこに理由はない。

強いて言えば語呂がいいとか
4がシックリきた、みたいな
すごく感覚的なことだと思う。


あ、これ、決して先生批判的に書いてないよ。
先生は授業のやりとりとして
話を膨らませようとしただけだろうから(笑)
.


わたしは
個性的であることを奨励する両親に育てられた。

社会の常識はあーだから、こーだから
ちっちゃく生きろ!みたいなことは
聞かされた覚えはなく

逆に
そんな平凡なことして
ツマラナイやつだなー!
みたいな批判を受けて、というか
そういう空氣の中で育ってた。


だから結局
わたしの個性が尊重されたのではなく

彼らが描く‘個性的である’という状態を
求められていたってことね。


社会常識には縛られてはないけど
両親の個人的な感性に縛られた幼少期。

すいませーん!
ウチの指針に従ってると
なんか教室に居づらいんですけどー!
みたいな悩みが人生のテーマね。


そんな感じで生きてると
社会人になってから
「お嬢」と呼ばれたりする(笑)

社会常識にとらわれず
「ウチではこうでしたから!」みたいな主張で
塗り固められた浮世離れした女。お嬢。


まあ、そんなお嬢も
一番の感性の指針だった母を亡くし
数多の社会常識に生身でさらされていくうちに


「ウチはこうでしたから!」と言いつつ
少しずつ主張に違和感を感じ始めるワケ。


ん?
ウチはじゃなくて
わたしはどうなんだ?と。


‘平凡でない’という基準や
両親の感性に違いモノを選ぶ癖から抜け

わたし自身の感性を知り、表現すること。


社会一般という判断基準に縛られた人から見ると
わたしは自由な発想で暮らしてるように
見えるのかもしれない。

でも、こうやって
また違った側面からの縛りがあったり
するわけですよーみなさん。


どんな人にも何かしらあるんだわ!
ってザックリすぎるけど、そういうこと。


で、どんな人にも言えるのは

その縛りを言い訳にせず
自分自身の感性を知り、表現する自由がある!

というか!

それを表現するために
生まれてきたんだぞー!
ってことだ。
.


我が家の小物のディスプレイを見ながら
友人が言うの。

「ディスプレイって
物で三角形を作るように置くと
うまく飾れるんだってねー!
でも、やってみてもうまく出来なくて。
あずちゃん、どうやってるの?」と。


三角形?社会常識?
へーそんなのがあるのね。


で、どうやってるの?って?

そんなの
飾って、見て、シックリくるか。

美しいとか
カッコ悪いとか
何か変とか

わたしがどう感じるか
繰り返し試すだけ。それだけだよ。


そうやって何度も、いつでも
自分に問い続けて

やっとやっと
自分のなかから湧いてくる感性に
自信が持てるようになって

より、それらと繋がって
外へ外へと
表現していけるようになるのだと
わたしは思うよ。


自分の感性に出逢えるって
すっごくうれしいことだよね!


暮らし空間創造AtoZ
矢野あずみ

ーーーーーーーーーー

f:id:yano-azmie:20170615124613j:plain

「暮らしと空間から ‘わたし’ を見つめる」

お話ししませんか?


山梨県都留市の cafe AtoZ や
お好きなカフェ、公園、出張もオッケー!
ふらりと、どうぞ♪

矢野あずみ
yanoazmie@gmail.com
09054974103
facebookメッセンジャーからでも
https://www.facebook.com/profile.php?id=100008436334007