昨日、庭で遊んでいるはずの子どもたちが
行方不明になるという出来事があった。
わたしは携帯片手に家の近くを捜し回り
110番する寸でのところで見つけられた。
近所のとあるお宅で
ドラえもんの録画を観ながら
リンゴジュースを飲んでいた。
ホッとしたら、涙があふれてきた。
子どもたちを抱きつつ
しばらく笑い泣きをした。
娘がそっと涙を拭ってくれた。
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騒ぎが静まると、そのまま
その家に一人でいた女性との会話が
ポツリポツリ…と始まった。
不思議なことに数分後には
深い深い「生き方」の話になっていた。
そこから何時間も、
一度お昼ゴハンを食べに中断し
再開して、また数時間。
何かに仕組まれたような出逢いと
場のセッティング、
導かれるような話の流れに
「なぜ、そうなるんだろう?」
という疑問が浮かぶのと同時に
「ああ、またか」
と頷いているわたしがいた。
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どうしても「生き方」の話に
辿り着いてしまう。
街に新しくできたパン屋のことや
息子の愚行でも軽く話して
済ませてもいいはずなのに…
「生き方」の話ばかりするなんて
重苦しい、面倒、真面目とか思われるとか
初対面なのにそんな深い話をして
踏み込みすぎた?熱すぎた?と振り返ったり
どうしても付き合いを狭めて
わたしを出し惜しみしてきた。
けど、この「生き方」の話って
やっぱり人と関わってじゃないと生まれない。
昨日は
求められてるのが、活かされてるのが
よーく伝わったの。
純粋にうれしかった。
わたしの命を活かしてくれてありがとう!
っていう氣持ちで充満してた。
わたしは
部屋にこもってコツコツと産み出す作品で
誰かを癒せるわけではない。
人との関わり、人との対話から始まる。
一歩目からグッと踏み込める
‘ それ ’ も認めて。
もう逃げない。
関わることを怖れない。
わたしの命を活かしてもらうために。
行方不明未遂の子どもたちよ。
また大切な導きを、ありがとう。