感情は誰のもの?

子供たちの運動会。

「お父さん、お母さんは 出来たとか出来なかったとか 氣にするのではなく 終わったら今日は子供たちを うんと褒めてあげてください」

という開会の言葉で始まったんだけど

いやいや それ言ってる時点で氣にしてるじゃ~ん

って内心ツッコんじゃったわたし。

でもさ

出来た、出来なかった 頑張れ、もっと早く、上手に ってところに注目して 子供の運動会を観てる大人がいるから 園も言わざるを得ないんだろうね。

年長児の息子には 難易度の高い、とある伝統種目があって。

競争ではなく、 自分との戦いみたいな感じの種目で

毎年、成功を目標にかかげてる子や プレッシャーに感じてる子 思うように出来なくて泣いてしまう子 がいるみたいなんだけど

息子にとってはあまり 重要なことではないようだったの。

この日のために!みたいな 会場に緊張感が走るなか (といっても、練習はさほどしてないみたい) スルスルと成功させてゆく子たち。

そんな中、息子は 3分の2くらいのところまで行くと その先は、再チャレンジしたり粘ったりせず かなりサッパリした表情で 終わって帰ってきた。

かと思ったら、お友達の列に戻った彼は めちゃくちゃ鼻の穴を膨らませて これ以上ないっていうイイ顔して お友達に向かって自慢していた!

「こーんなに出来たんだよ!」って 遠くにいるわたしにも伝わるくらいの わかりやすいジェスチャーを交えてね。

開会の言葉のとおり褒めたかって?

「お母さん! 練習では半分までしか出来なかったのに 今日はそれよりも、もーっと上まで 行けたんだよー」

と、息子があのジェスチャーしながら 話してくれたから

「そうなんだね!よかったね!」 って言ったよ。

3分の2のところで終わった事実を

種目としてどうとか 周りの子を見てどうとかって やっぱり関係なくてね。

「よく頑張ったね」でも 「あともう少しだったね」でも ないんだよね。

3分の2のところで終わった事実を 息子自身がどう思い、どう感じたのか。 大切なのはソコだけ。

練習よりも、すごいことしちゃった! という自信に満ち満ちたこの感情を そのままダイレクトに共有させてもらう。

「そうなんだね!よかったね!」って。

もし息子が悔しくて泣いたとしても

「そうなんだね!悔しいんだね!」 って声をかけると思う。

そこでも 「そんなことないよ、頑張ってたよ」でも 「そっか。次頑張ればいいよ」 でもないんだとわたしは思う。

矢野あずみ