夫は、心の投てき板。

昨日の朝は鬱々としていた。

満月に心の底を照らされ なにかが浮き上がってくるよう。

そんなとき、わたしは 言葉を奥へ押し込もうとする。

相手に伝えられる 確かな、それらしい言葉として 準備が整うまでは 内側で分析と推敲を繰り返すのが 礼儀のように思うのだ。

大事なときほど、そう思うのだ。

ただ、わたしも もうそのパターンに慣れたもので(笑) (自分のことなので、てへ)

押し込もうとしたのなら 尚のこと、 外に出してあげたほうがいいと 知っている。

余談だけど

わたしの父は こんな娘の質を知ってて 初対面の(のちの)夫に対し 一つだけお願いをしていた。

この子は黙ったら黄色信号。 とにかくしゃべらせてあげてください

って。

そのおかげか? わたしの夫は 何でも「言わせてくれる」。

何でも「聞いてくれる」ではなく 何でも「言わせてくれる」だ。

「聞いてくれる」となると 共有だったり、理解だったり 意見、反省?感謝?謝罪?…

何かしらのレスポンスが ほしくなったりするけれど そうではなくて

小学校の校庭にあった 投てき板のような巨大な壁となり わたしが投げるすべての球を カラダ全部で受け止める。

痛い!とも言わずに ジャッジなしで。

昔はこれを スポンジのように吸収されている と感じていたけれど

昨日は確実に違って感じた。

投てき板だから 投げた球は、そのまま わたしに跳ね返ってきてたのだ。

わたしが心のなかに 押し込めようとした思いを 内側で分析を繰り返したとしても

一点からの同じ角度でしか そのものを見れないけれど

いったん投てき板に向けて投げた カラダから飛び出した思いは

跳ね返ってきた途端に 全体像を見られるようになっていた。

無事に吐き出し、跳ね返ってきた 球の数々を見つめ わたしは赤面しそうだった。

こんなに幼くてかわいらしい思いが まだまだくすぶっていたのかと。

もう大丈夫!ありがとう。

言いたいことだけ言って 勝手に解決していくわたしを 見守る夫。

わたしの大切な、心の投てき板。

いてくれることが本当にありがたい。

矢野あずみ